関西建築紀行 2018夏 前編-万博公園

丁度一か月前、この夏は関西に行く用事があったため、建物探訪もしてきました。

その1つ目は我々世代の生まれたころ、日本に最も活力のあった時代の先駆け、1970「大阪万博」の記念公園。

いつも大阪にいっては行きそびれていたので満足。子連れだったのでサイクリングコースで子供が遊んだりと、遊具と自然に欠かせない公園になっていました。

建築を学ぶ者にとっては、万博の富士グループ館(川口衛構造)で世界発の本格的なチューブ型膜構造へのチャレンジ

=教科書に載っているこの写真↓

や、メタボリズム運動の丹下健三、黒川紀章、菊竹清訓氏などの処々の設計、お祭り広場の太陽の塔など、当時はもちろん今もワクワ

ク満載の聖地の一つなのだと思う。

公園には太陽の塔(なんと今内部も公開中。予約が必要です。残念ながらそこまで調べていかなかったため、私は予約はせず入れませ

んでしたが)がそびえたち、昔も今もずっと空をにらみ続けていて迫力満載。太郎さんに叱咤激励されている気持ちになるのは私だけでしょうか。

「鉄鉱館」 がEXPOパビリオンとして保存されていて、万博の時代背景や当時の賑わいを展示。

行政の誘致活動などもさかんに展示されています。

←鉄鋼館

 ←当時の鉄鋼館ホール内部  ←私が撮ったもの

 

上の写真、内部は「球体スピーカー」が1008個と吊めぐらされたホール。万博当時も前衛的な公演が何本も行われています。

アングラ的な色づかい、会場全体を舞台にしたような照明、、、

不協和音が不安にさせるような、「ギー」というような電子的な当時かけたという音楽もこの日もかかっていて、一か月立った今も耳

から離れません。

 

60-70年代ファッションの自由さ加減、先端さ加減、といったら。私そのころの時代好きなんです。生まれてたか生まれていなかった

かぐらいでしたが。アメリカの1920年代を彷彿とさせるというか。

当時の時代背景。「すべては万国博から。」・・・サインシステム(ピクトグラム)、フランスパン、ヨーグルト、LAN

缶コーヒー、電気自動車、ファーストフード、ファミレス、動く歩道・・・ いまでは当たり前。

ということは今日の45年後はやはり全然違った都市になるということですよね!!

原点がここにあった建築家も多い。私も今年は原点!と思って想いを新たに公園を後にしました。

この公園は100年後(22世紀)を目指し、「人工的につくられた森」を、生物多様性の豊な「自立した森」へ、をコンセプトにしてい

るそうです。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA